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2012年12月13日 (木)

真の文明は山を荒さず・・・

真の文明は山を荒らさず
川を荒らさず
村を破らず
人を殺さざるべし

これは足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家、田中正造が亡くなる前年の1912年の日記に書かれた文章です。

足尾鉱毒事件では、近代技術の粋を集めたはずの銅山から流出した鉱毒によって、渡良瀬川流域の土壌を汚染し、農作物や魚に甚大な被害を出しました。政府は「富国強兵」の国策のもと、東アジア一の銅山産地を築く一方、下流の住民が受けた鉱毒被害に背を向け、鉱毒を沈殿するため最下流地の谷中村を廃村とし、遊水池とする計画を決定。正造は衆院議院を辞職し、谷中村に移り住み、村人とともに最後まで計画を阻止しようとしたもの、1906年に強制廃村となりました。明治初期には約2700人いた村人は、遠く北海道に集団移住を余儀なくされたのです。

なんだか東京電力原発事故に類似していませんか。政府は「経済発展」の国策のもと、原発を推進し、事故により放射能汚染という甚大な被害を出した・・・福島第1原発事故後に、京大原子炉実験研のメンバーとともに放射能汚染調査のため福島県飯館村に入った国学院大学の菅井益郎教授は、「現代の谷中村ではないか」と感じたそうです。暮らしを豊かにするはずの文明が村民から日常を奪い、1年半たった今も約16万人の人が故郷に戻れていません。

正造は電気が普及し始め、誰もが豊かになると期待した時代にあって、鉱毒被害に苦しむ弱い立場の人々やその人々に背を向けた政治家を目の当たりにし、文明(科学技術の進歩のみに頼る社会)は人間を滅ぼすとの警鐘を込めて書いたのでしょう。

正造は大雨のときでもみのとけさに裸足で村民の家を回ったり、晩年、余命がないと知ると、手持ちの金で村に残留した人に米を送ったそうです。正しいと思ったことを生涯を通して貫く、気迫ある正造のような政治家は今どこにいるのでしょう?

栃木生まれということもあり、来年が没後100年ということで最近見直されている田中正造を取りあげました。日曜日の選挙は、ぜひ、この国を任せるに値する政治家を選びたいと思います。そしてみなさんも貴重な一票を無駄にせず、投票所に足を運んでくださいね。

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