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2012年4月 3日 (火)

腸内断捨離

R0012576断捨離とは、徹底して物と向き合い、自分と物の関係を問い直し、他人に頼らずに捨てるか残すかを選択、決断しながら、己を確立する営みだそうです。提唱者のやましたひでこさんがヨガ道場で「断行、捨行、離行」と出会い、それを日常の片づけ術に応用した、著書「断捨離」は片づけ本ブームの火付け役となりました。

心の執着を手放すという考え方に多くのかたが共感し、散らかることのない部屋を期待する以上に、価値観に支配された自己に気づく作業を体感したくなったことがブームの要因ではないかと感じていました。

女性はよく、季節の変わり目に「着る服がない」と言うが、タンスには服がいっぱい詰まっている。実は「着たい服がない」のである。ではなぜ「着たくない服」をとっておくのか? とっておかせる価値観、「たとえば、以前はお気に入りだった→また着るかも→捨てるにはもったいない→でもリサイクルでは売れない?持ちこむのが面倒?→それにけっこう高価だったなどの執着心」がその人を支配しているからではないかと著者はいいます。これが服ではなく、本になると、知識の宝庫である本を捨てるなんてとんでもない=知識が豊富なことはいいことという価値観があって、知識不足の自分にコンプレックスを抱いていることに気づくかもしれないと。

私も春になるたびに服がないと騒ぎ(すると旦那は目をそらす!)、かつ本が捨てられないタイプですが、こと腸内に関しては断捨離できていると自負しています。

なぜ腸内の話をするかというと、著者は断捨離を体内の新陳代謝にたとえているからです。身体に新陳代謝の出口(排泄)と入口(食物摂取)が必要なように、家にも出口と入口を考え、過剰に物を詰め込んでいるなら外に出しましょうと提案しています。 

多くの日本人が過剰に物を持ち、物に囲まれて窮屈な生活をしていますが、そんな状態にあるのは家の中だけではありません。飽食の時代といわれて久しいですが、過剰に食べ、それによって窮屈な腸内状態=宿便になっていることには気づいていないようです。

食べたいものがいつでも食べられる幸福(・・かどうかは甚だ怪しい)な時代が到来したのはごく最近の話で、人類の歴史から見れば充分に食べられない時代の方が長いのです。ゆえに肉体は、口にした栄養をなるべく蓄えるようにできています。何を食べるかも大事ですが、それを残さず出し切ることも忘れてはなりません。

「食べなければスタミナ不足になる」「働けない」という声も聞きますが、そんなことはありません。私は毎日、半日断食をしており、昼夜の2食は玄米菜食を心がけています。3食とっていたころよりも元気で、疲れにくいです。そして2食にしてからのほうが、排便の便の量が多くなっています。実は同様のことを多くの玄米菜食の方から聞いてはいたのですが、以前は玄米と分付を混ぜたり、交互に炊いていました。しかし玄米100%にしてから、それまでとは明らかに違うことを実感し、それ以降玄米のみを食べています。もちろん粗食・小食を心がけて。

玄米は「まずい」という方もいますが、料理教室の先生によると「それは美味しく炊けてないだけ」だそうです。美味しい玄米を食べると、「玄米でなきゃ」と意識も変わるかもしれません。「春は玄米でデトックス!」ってのはどうでしょう? そいえば今年は花粉症知らずだな~♪

※写真は玄米五平餅です。最近のマイブームで、繰り返し作っています。

※断食はどなたにも合う健康法ではないと思います。体験されたい方は、管理者のいる道場などでお試しいただくのがよいでしょう。

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