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2012年4月 8日 (日)

ともだち100人できません

この4月に入園、入学、入社を迎える方もいることと思います。今日は桜も満開で、みなさんの前途を祝福するかのようです。そんな喜ばしいときに、不吉なタイトルですみません。

子どものころに歌ったというより、テレビコマーシャルでよく聞いた曲に♪「一年生になった~ら、一年生になった~ら、ともだち100人できるかな」という歌詞があります。子どもたちは新しい環境でたくさんのともだちが出来ることを楽しみにしている、そんな情景が浮かぶほほえましい歌詞です。

園や学校でのともだち作りは、昨今の少子化や核家族では経験できない人間関係や社会を学ぶよい機会ではあります。しかしともだちが一刻も早く、たくさんできることが、新環境に適応しているかどうか、楽しく過ごせるかどうかのバロメーターのように考えてしまいがちです。まるでともだちの数で、その人の人格や能力、存在価値までもが決められてしまうように・・・感じる大人や子どもさんもいます。

そんな方々に声を大にして言いたい。「ともだち100人できません」と。

ともだちなんてそう簡単にできないし、できにくいのが当たり前。できたらラッキー。最初は顔見知り、知人でOK、くらいに思います。

なのに子どもたちは大人たちから、「みんなと仲良くともだちになりなさい」と入学前からプレッシャーを与えられます。それをワクワク楽しみにできる好奇心いっぱいの子どもばかりではありません。逆に緊張と不安で押しつぶされそうになっている子だっているのです。大人になってもともだち作りは容易いことでないのに、自分のことは棚上げにして、「今日は楽しかった?」「ともだちできた?」などと毎日聞かれたら、ともだちができないこと=悪=自分の性格に問題がある?と考え込んでしまいます。ここで「ウザイ」と親に言い返したり、無視できる子はいいんです。そうでない子は親の期待(ともだちができてほしい)になんとか応えたいと思うほどに真のともだちを見失い、多数の意見に迎合するようになります(これがいじめの始まりかもしれませんね)。結果的にともだちがいないと正直に言えなくなってしまいます。真実を話せない状況や期待に応えられないという思いが続くと、その後の親子関係に深い溝を残すことも考えられます。

先日、BS日テレで観たドラマにも、そのような子どもが登場し、いもしないともだちとの空想話を親にするエピソードがありました。ミステリーのネタばれになるので詳しくは書きませんが、子どもにそのような嘘をつかせてしまう大人の事情や言動は出来る限り控えたいと思いました。

この春は、歌とともに「ともだちなんて出来にくいものだよ」というメッセージと、だからといって無理につくろうとしたり、群れる必要もないとさらりと伝えたいと考えています。孤独に耐えられ、孤独を楽しめる人は強い人間です。そういう人に魅力がないわけがありません。いつか信頼しあえる友に巡り合えるときがくると信じましょう。そして大人のみなさんには、「ともだちできた?」というストレートな質問を控えていただくようお願いしたいと思います。

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2012年4月 3日 (火)

腸内断捨離

R0012576断捨離とは、徹底して物と向き合い、自分と物の関係を問い直し、他人に頼らずに捨てるか残すかを選択、決断しながら、己を確立する営みだそうです。提唱者のやましたひでこさんがヨガ道場で「断行、捨行、離行」と出会い、それを日常の片づけ術に応用した、著書「断捨離」は片づけ本ブームの火付け役となりました。

心の執着を手放すという考え方に多くのかたが共感し、散らかることのない部屋を期待する以上に、価値観に支配された自己に気づく作業を体感したくなったことがブームの要因ではないかと感じていました。

女性はよく、季節の変わり目に「着る服がない」と言うが、タンスには服がいっぱい詰まっている。実は「着たい服がない」のである。ではなぜ「着たくない服」をとっておくのか? とっておかせる価値観、「たとえば、以前はお気に入りだった→また着るかも→捨てるにはもったいない→でもリサイクルでは売れない?持ちこむのが面倒?→それにけっこう高価だったなどの執着心」がその人を支配しているからではないかと著者はいいます。これが服ではなく、本になると、知識の宝庫である本を捨てるなんてとんでもない=知識が豊富なことはいいことという価値観があって、知識不足の自分にコンプレックスを抱いていることに気づくかもしれないと。

私も春になるたびに服がないと騒ぎ(すると旦那は目をそらす!)、かつ本が捨てられないタイプですが、こと腸内に関しては断捨離できていると自負しています。

なぜ腸内の話をするかというと、著者は断捨離を体内の新陳代謝にたとえているからです。身体に新陳代謝の出口(排泄)と入口(食物摂取)が必要なように、家にも出口と入口を考え、過剰に物を詰め込んでいるなら外に出しましょうと提案しています。 

多くの日本人が過剰に物を持ち、物に囲まれて窮屈な生活をしていますが、そんな状態にあるのは家の中だけではありません。飽食の時代といわれて久しいですが、過剰に食べ、それによって窮屈な腸内状態=宿便になっていることには気づいていないようです。

食べたいものがいつでも食べられる幸福(・・かどうかは甚だ怪しい)な時代が到来したのはごく最近の話で、人類の歴史から見れば充分に食べられない時代の方が長いのです。ゆえに肉体は、口にした栄養をなるべく蓄えるようにできています。何を食べるかも大事ですが、それを残さず出し切ることも忘れてはなりません。

「食べなければスタミナ不足になる」「働けない」という声も聞きますが、そんなことはありません。私は毎日、半日断食をしており、昼夜の2食は玄米菜食を心がけています。3食とっていたころよりも元気で、疲れにくいです。そして2食にしてからのほうが、排便の便の量が多くなっています。実は同様のことを多くの玄米菜食の方から聞いてはいたのですが、以前は玄米と分付を混ぜたり、交互に炊いていました。しかし玄米100%にしてから、それまでとは明らかに違うことを実感し、それ以降玄米のみを食べています。もちろん粗食・小食を心がけて。

玄米は「まずい」という方もいますが、料理教室の先生によると「それは美味しく炊けてないだけ」だそうです。美味しい玄米を食べると、「玄米でなきゃ」と意識も変わるかもしれません。「春は玄米でデトックス!」ってのはどうでしょう? そいえば今年は花粉症知らずだな~♪

※写真は玄米五平餅です。最近のマイブームで、繰り返し作っています。

※断食はどなたにも合う健康法ではないと思います。体験されたい方は、管理者のいる道場などでお試しいただくのがよいでしょう。

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