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2011年12月29日 (木)

35年間末期ガンって・・・

先月末、国立がん研究センターが約8万人を対象にした約10年におよぶ追跡調査で、赤肉(牛や豚肉)を多く食べる日本人は大腸がんになるリスクが上がるとの調査をまとめました。世界がん研究基金とアメリカのがん研究協会が報告している内容であり、すでに多くの方が当たり前に考えていることのように思いますが、大規模な調査により日本においても高リスクが裏付けられたことになります。

調査は岩手や長野、茨城、沖縄など9県在住の45~74歳の男女約8万人で、1995~2006年までを追跡しています。このうち大腸がんになった1145人(結腸がん788人、直腸がん357人)について肉類の摂取量との関連を調べたところ、摂取量と結腸がんに関係がみられたそうです。

何を食べたかが肉体に現れるということは、このブログでも語ってきました。ホメオパシーに頼る前に、食生活を正すことが健康への近道であるということも。私自身、えらそーなことは言えませんが、それでも少しは料理の腕を上げ、食生活を正したいとの思いから今年は食と言うキーワードでアンテナをはっていました。そんな中、新しい出会いがあり、食を変えることで乳がんを克服した方にめぐり会いました。また末期ガンで余命を告知されたにもかかわらず、35年間状態が変わらず、ず~っと末期ガンであるとおっしゃる方も食を変えたことがよい結果につながったと伺いました(食だけじゃないでしょうけど)。

友人に話すと、「35年間ガンがよくなっていない」と言うのですが、ガンが悪さをせず、普通に暮らせていることがスゴいと思います。個人的には、ガンというのはその方の個性のように感じられ、体質や性格のようになくならないと考えています。なので、「ガンと闘う」という言葉を聞くとどうも違和感があります。ガンも自分の一部であって、自分と闘うという構図がしっくりこないのです。

平和の反対語は戦争ですが、意識がガンと闘うと宣戦布告すれば、ひとつの体の中で戦争になります。それよりガンは個性と受け止め、まるごと自分であると受け入れたほうが肉体と精神の平和につながるのではないでしょうか。

病に悩む多くの人は、その病をいかに治すかを懸命に考えますが、なぜ病に至ったのかを考えていないように思います。病になる原因(医学的な原因ではありません)がわかれば、まずそれを取り除くことからはじめればよいわけです。そして多くの場合、命をつかさどる大切な食生活がないがしろににされていることが多いようです。もちろん食以外にも、ショックや失望、恐怖、憎しみ、悲しみなどの感情やストレスも原因になるでしょう。

乳ガンの方は両親をずっと恨んでいたとおっしゃっていました。本来愛すべき家族を今も恨み続けていたら、きっとガンはよくなっていなかったでしょう。食を正し、恨む気持ちを手放してこそ健康が取り戻せたのだと感じます。

食の問題は肉食に限ったことではありません。農薬や添加物、放射線照射、遺伝子組み換えなどなど、便利でお手軽な食品に安易に頼る生活を来年こそは変えてみませんか?そして病気になってから考えるのではなく、病気になる前に考えておく=病気にならないように行動しておく・・という思考にシフトしませんか?

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2011年12月14日 (水)

もう買い物で人は幸せになれない

現代は物を買うことで幸せを得られた敗戦直後とは違います。物が行き渡らない頃は、手に入るだけで満足できたものが、今では何を、いつどこで買うべきかに悩まされ、買った後には「あちらで買えば・・」「新しいのが出るの!」と後悔やら無念を感じる(ちょっと大げさかな)ことさえあります。もう買い物自体がひどく労力を強いられる行為にすら感じます。

買い物で幸せになれないことなど、すでにバブルが弾けたときに学んだのではないのか・・・。それなのにのど元過ぎれば熱さ忘れるで、にわとりのごとく(本当ににわとりは物忘れが激しいのか?)教訓を忘れ、経済活動に勤しんでしまう(涙)。それが人間なのね~と残念に思いつつ納得。そして、天災は教訓が生きているかを試すように、忘れたころにやってくるのですね。

昨日、読売新聞夕刊で、「暮らしと手帳は今」という記事を読みました。「暮らしと手帳」といえば読者でこそありませんが、初代編集長 花森安治の異彩ぶりは知っていました。何しろ男性なのにスカートをはき、パーマをあて、読者である女性の気持ちになりきろうとした方です。そこには「女性は戦争に罪がない。これからは女性が幸せになるべき」との強い信念があってのことでした。

現在編集長をされている松浦弥太郎氏は「もう買い物で人は幸せになれない。暮らしの隅に宿る無形の知恵に気づいて、感謝する。その気持ちが豊かさであり幸福では。それを誌面で提案したい」といいます。

また新潮社で生活文化誌「考える人」を創刊した、松家仁之慶大特別招聘教授は「つましくも自分の生活を組み立てたいと願う最近の若い世代は、終戦直後の日本人の心理に近いかもしれない。松浦さんはそれを直感的に見抜いている」とも評しています。

震災以降、私は嫌い(苦手)だった料理が好きになりつつあります。以前はまずいものや不安材料のある食品を食べたくないという一心で料理をしていましたが、今は料理をつくること=生きること、と感じ、おろそかにしたくないと思います。そして家族で食事ができることに感謝しています。

「いただきます」とは、野菜や魚などの命を頂くことであり、私たちはその失われた命で自分の命を永らえています。そして「ご馳走さま」には、その食べ物を育てあげ、また捕って運んでくれた人々や調理してくれた人が食材集めに走り回ってくれたことへの感謝が込められています。

これらの言葉に込められた感謝の心を忘れることなく、つつましくとも豊かな気持ちで生活することこそが幸福への近道なのかもしれませんね。師も走る年末が近づいてきましたが、どうぞ心を忘れることなく、一日一日を大切にお過ごしください。

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2011年12月 2日 (金)

福島県知事、県内全原発の廃炉表明

福島県の佐藤雄平知事は30日の記者会見で、東京電力福島第一原発事故を受け、県内の原発全10基の廃炉を、復興に際しての重点項目を盛り込む「県復興計画」に明記することを表明しました。原発立地県の知事が廃炉を求めるのは初めてのことだそうですが、当然の流れだと感じます。

その3日前、NHKスペシャル「安全神話~当事者が語る事故の深層」の中で、東京電力がアメリカの最新技術を導入して初めて造ったのが福島第一原発であり、その立地基準について触れていました。建てられた40年前(1971年)当時、日本には原発を造る技術がなく、ほとんどの原発はアメリカから輸入したものでした。そのため原発を造る際に満たす基準が必要となりますが、その指針をつくったのは国の原子力委員会の専門部会(後の原子力安全委員会)であり、アメリカの指針を参考に作られました。

アメリカでは原発を建ててもよい基準について、低人口地帯を設けるよう義務づけ、さらに深刻な事故の際には退避が速やかに行われることが含まれていました。しかし国土の狭い日本には基準に沿うような立地はなく、深刻な事故は起きない(安全神話)として、事実上、低人口地帯を設けなくても建設が認められたのです!! もちろんそんな話は福島の方々に説明されるはずもなく、「退避の可能性・必要性」についても、誘致に支障がでるとのことで知らされることなく、対策もとられていませんでした。

このような事実がわかってきた今、こんなに小さな国に原発が存在すること自体、不思議でなりません。 チェルノブイリ事故で問題になったシビアアクシデント(深刻な事故)対策について、泊原発訴訟裁判への影響を抑えたい国と地元の混乱を避けたい電力会社の思惑が不幸にも一致し、最終的には原子力安全委員会がシビアアクシデント対策を国の規制の対象としないと決めました。国が明確な基準を示さな中、東京電力は民間企業としていつ起きるか、起きないかわからない事故対策にどこまでコストをかければいいのか判断が難しかったといいます。だったら対策も考えられない国が、ましてや一民間企業が原発なんか造っていいのだろうか!! ・・・ちょっと血圧が上がりそうなので、今日のところはこのくらいにしておきます。

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