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2011年8月22日 (月)

常識を疑え・・・②(追記)

以前に同じタイトルで記事を書きましたが、常識が疑えきれていなかったのは自分自身であると、最近になって気づきました。

ホメオパスの友人が集まった折、子ども時代におしり(臀部)に注射を打ったかどうか、という話題になりました。私の子ども時代は注射といえばおしりに打つもの、というほど腕よりおしりに打たれたものです。当時は薬を処方されるより、注射が多用されており、同年代なら誰でも同じ状況であると思いこんでいました。

つまりこれが、私が信じていた世の常(常識)。しかし話を聞いてみると、5人中4人が尻などに打っていないとのこと! 地域性ではないか?、医師の好み?、腕より痛みを感じにくい?、私の小学生時代からの腰痛はそれが原因ではないか?という話にまで発展するも真相はやぶの中。分かったのは、私が人よりたくさん注射をしているという事実。

そういえば自分がホメオパスの健康相談会を受けていたころは、このことを特別と考えていなかっただけでなく、同年代のホメオパスなら知っていて当たり前と思いこみ、話した覚えがありません。自分の中で、これって当たり前、ごく平均的と思っていることが、以外に特別なことなのだとあらためて感じました。そしてそれがレメディー選択の重要な情報になりうる場合があります。

特に年配の方に多いのが、痛みを長年抱えていて、それがあまりに当たり前になってしまい、相談会で話忘れたり、質問表に書き忘れてしまうこと。だいぶ経ってから初耳!という展開になることがあります。その他にも見え方や聞こえ方の問題も、状況に慣れてしまいがちです。たまには自分の肉体状態を同年代の人と比べたり、他人と違う感覚がないかを探してみると意外な発見があるかもしれません。

あなたの常識が、他の人にとっての非常識ってこと、あるかもしれませんよ。

(追記)先輩ホメオパスが70年代に山梨県で問題化した筋短縮症事件について知らせてくれました。これは注射の際の物理的刺激と薬剤による筋肉組織の破壊によって外形変化や運動機能障害が起こった医療被害で、注射された場所によってさまざまな種類があり、臀部の場合は殿筋短縮症というそうです。当時、風邪などで来院した子どもに抗生物質や解熱剤を頻繁に注射したことが原因であり、製薬企業と医師の姿勢が問題視され、その後安易な注射が控えられたようです。風化しそうな事件の被害者になる可能性もあったことにただただビックリしました。

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2011年8月20日 (土)

100000年後の安全

ずっと観たいと思いつつ見逃している映画があります。原発から生まれる放射性廃棄物の危険性について描かれたドキュメンタリー映画「100000年後の安全」です。

フィンランドでは世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分の建設が決定し、硬い岩盤を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは、10万年間保持されるように設計されているそうです。そして廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない・・・しかし、誰がそれを保障できるのでしょう。

10万年とは、放射性廃棄物が生物にとって無害になるまでに要する年月です。なんと気の遠くなるような話でしょう。私たちは、10万年後にそこで生きる人たちに、この廃棄物の危険性を警告する方法があるのでしょうか。

現在までに発見されている文字体系で最古のもののひとつに、メソポタミアで誕生した楔形文字があります。これが紀元前3500年頃。そしてエジプトのヒエログリフが3000年頃。つまり、今から5500~5000年前の文字すら読むことができない現状で、それよりとてつもなく遠い10万年未来の人間に文字を使って危険を知らせることが容易でないことが分かります。

ピラミッドが何のために建てられたか分からないように、未来人もこの廃棄物処理施設を遺跡や墓と考え、財宝が隠された場所だと思う可能性は十分にあります。

多くの方に観て欲しい作品だと確信していますが、特に、放射能の半減期を持ちだしたり、人体に影響のない放射線量やそれを安全という方々に観ていただき、10万年後の安全についても考えていただきたいと強く望みます。

上映場所や時間がだいぶ限られてきましたが、8/28~9/3(火曜定休)まで、深谷市にある酒蔵の映画館「深谷シネマ」にて1日2回の上映があります。また渋谷のアップリンクでも上映中(~8/26まで予定)です。詳しくは下記のHPまで。

http://fukayacinema.jp/

http://www.uplink.co.jp/x/log/003949.php

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2011年8月17日 (水)

泊原発、営業運転再開か・・・

今朝の読売新聞に、定期検査の最終調整運転を続けていた北海道電力の泊原子力発電所3号機について、北海道知事が営業運転への移行を容認する方針を固めたという記事がありました。

4日前の終戦記念日、福島県浪江町の漁協支所長、叶谷守久さんが東京・日比谷公園の檀上で「原発事故さえ起きなければ、復興への第一歩を踏み出せていたでしょう」、「補償金なんかいらなかった。貧しくても、幸せな生活をしていたかった」と語る記事もありました。

後者の記事は、東京電力福島第一原発事故の影響に苦しむ同県内の農林漁業者2800人が賠償を求め、近くの東電本社までデモ行進を行ったことに関連して、漁協支所長が原発マネーに踊らされた実情を語っていました。

叶谷さんは1965年から、泊第一原発近くの漁場権消滅や温排水の影響を容認する代わりに東電から補償金を受け取るようになりました。最初の支払いで200万円(現在の価値に換算)、その10年後には第二原発建設に伴う補償金1000万円(同)余り。それを生活費の不足や船のエンジン交換に当てました。

温排水の悪影響はあまりなく、むしろ水温の上昇でコウナゴやシラスなどの小魚が増えたと喜んだそうです。また原発立地に伴い岸壁も整備され、補償金で購入した大型の船がひしめく様子に、「原発がきて良かった。被爆国が作るのだから危険はないはず」と考えるようになりました。

第一原発7・8号機の増設には、当時の組合長だった叶谷さんが代表として交渉し、総額121億円で合意。漁師たちには一人当たり数千万円が配分されました。叶谷さんも新しい船を買い、自宅を増改築。家を新築した人も多く、漁が終わると繁華街までタクシーを飛ばし、飲み歩く漁師たちの姿もよく見かけられました。

震災の日、叶谷さんは妻を車に乗せて山へ向かいましたが、車を降りて妻の手を引いた瞬間、巨大な波に飲み込まれ、叶谷さんは骨折、妻は行方不明ののち遺体が確認されたそうです。叶谷さんは今も申し訳ないという思いにさいなまれています。

補償交渉の際、原発増設に反対する漁師らの説得に当たった、山形武さんの妻も6月に変わり果てた姿で発見されました。「結局、彼らが正しかった。金に目がくらんでいた・・・」と後悔する言葉を口にします。

漁協組合員約220人のうち約30人が死亡・行方不明。避難生活を送る漁師たちも海に戻れる見通しはありません。

叶谷さんはいいます。

「戦時中、浜に米軍の艦載機による機銃掃射があり、家族と川に飛び込んだ。パイロットの顔が見えるくらい敵機が近づいた記憶がある。翌日逃げ込んだ山からみた町は一面焼け野原だった。戦後には、手こぎの船しかなく、漁獲量は限られた。海水を窯で煮て塩を作り、農家の作物と交換する生活がしばらく続いた」

「あの戦争だって、こんなに酷くなかった」

故郷で家族に囲まれ、漁に支えられて、貧しくともつつましく暮らしたいというささやかな願いが、原発によって打ち砕かれたのです。これが震災だけなら、また漁に出られる日もやってきたでしょう。しかし相手は人間の手には負えない放射能です。

ある方がこの震災+人災を、文明災といいました。まさに、愚かな人間が欲のために起こした災害のようにも感じます。

北海道知事には、この国は自然災害の多発国であり、いつ文明災が起こってもおかしくないことを思い出していただきたく思います。そして被災された当事者の方が、戦争より酷い状況と語る言葉に耳を傾けて欲しいです。

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